家族関係

2017年5月27日 (土)

アンマの抱擁、宗教と宗教性との関わり

みなさん、こんにちは。心理カウンセラー・プロセスワークプラクティショナーの森本道子です。
 

先日アンマの抱擁を受けてきました。ご存知の方もいらっしゃるでしょうか?

毎年無料で行われるイベントで、人道的支援活動をされているアンマが奉仕の抱擁をしてくださるというエンブレイシングザワールドというプログラムです。今年で27回目だそうです。

配られた冊子を読んでもキリスト教、仏教、などの宗教、という言葉はどこにも書かれていません。数年前に一度ある人から勧められ、今年又別の友人から勧められたので、これも何かの縁かしらと思い、行ってきました。

整理券をもらってからは、物珍しさから、列に並んで延々とアンマの抱擁を受ける人々を見ていました。抱擁を受けて涙ぐむ人もいます。ボランティアやおつきの人たちもたくさんいます。その方たちが、アンマに失礼のないよう、又抱擁がスムーズに進むよう、サポートしています。

会場ではアンマのグッズ販売や、アクセサリーの販売などがあって少しがっかりしましたが、良心的な金額でした。すべて無償で神格化されたものをどこかで想像していた自分を発見し、ああビジネスなんだなと、少しほっとする気持ちも出てきました。

そして自分が受ける順番になったとき、前に並んでいた母に連れられた小さな子供は母親の神妙な雰囲気と、アンマ周辺の物々しい雰囲気を感じ取ってギャン泣き。その男の子の背中を擦ってるとあっという間に自分の順番。

アンマには体重をかけないように、と前もって注意を受けていたので遠慮していたのですが・・・

ぐいっ(頭をつかまれて)

がしっ(胸にのせられる)

(耳元で)『〇×〇△〇×~~~~~~~~~~~』

とアンマにしゃがれ声でマントラをつぶやかれて、

あっという間に終わり。

この間、一切目も合わず。

かなり、カルチャーショック。

しかし優しいうっとりとした抱擁でなく、このなんかぞんざいと感じるほどの抱擁が私には良い感じでした。

私のこの個人的な体験では、アンマは「マントラを伝えるメッセンジャー」となり、身体で言葉を感じるという体験が感覚派の私にはすごく良かったです。

 
「愛を配る人」という投影を受けるアンマ、すると必ず「愛を欲する無力な人」というロールが立ちます。瞬間にこのロールにはまるのは良いのかもしれません。おそらくすごく心地よい。

しかしこのロールにはまり続けると愛やパワーを自分自身が持つことはおそらく一生出来ないでしょう。

その後しばらく、その場で瞑想させてもらいました。

宗教と宗教性、私の人生にこの二つは色んな形で姿を見せています。

宗教との関わりを持ってる人はとても多いと思います。自分自身だけでなく、親や親せき、友人がある宗教を信仰している、など。(信仰の自由はもちろん守られるべきものだと思っています)

ほとんどの宗教は「平和」を目的としたものが多いと思います。

しかし、残念ながら宗教や宗教性の存在は時として分断を生み、そこには痛みもとても多く存在します。そこには必ず「何が正しいか」という議論が存在し、特権者の権利の乱用という問題も大なり小なり存在します。宗教性(や教祖様的なもの)という大いなるものに、個人(教祖様本人も)が簡単に巻き込まれてしまったりします。

人生の悩みや夢は人それぞれですが、自分自身の宗教性とどう折り合いをつけていくのかというのはすべての人に共通した大きなテーマだと思います。

そんなことをこれからの長い人生を通して気にかけてみるのも良いかもしれません。

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2017年4月 7日 (金)

白い髪の女で。

みなさん、こんにちは。心理カウンセラー・プロセスワークプラクティショナーの森本道子です。

年明けに髪を短く切りました!
実際にお会いした方々はお分かりだと思うのですが、髪も半分白になりました。

実は母親の負の遺産で、私も姉も二十代から髪を染めています。

髪を染めるきっかけはやはり美容師の言葉でした。当時私はあまり気にしてなかったのですが、度々の美容師の言葉に根負けして染め出したが最後、今まで続いていたのです。

しかし、二十年近く髪を染めてきて、

染め続けることに、ずいぶんうんざりしてきました。

一度坊主にしてみたい、とか

白髪がどれくらいあるのか見てみたい、

というへんな希望も持っていました。


ここ数年ずっと悩み続けて、色んなワークをしたりしたのですが、答えが出ず、しかし年末に帯状疱疹になったことで、頭痛がやまず、髪を少し触るだけでも激痛が走るほどの時期があったことから、

「とりあえず髪を染めるのをやめます。後悔すると思うけど切りたいから坊主にしてほしい」と現在の美容師さんにお願いしました。

そうすると、優しい美容師さんが、順番に切っていきましょう、と言って黒白が混じったまだらな髪でもそんなに気にならないベリーショートにしてくれました。
 
ハサミで説得されたのは初めてでした。”もうこれくらいでいいんじゃないですか?”と、その優しさに涙が出そうでした。
 
私にとって、「白髪を隠すために髪を染めること」は若いころからやっていたため、「老いを隠す」というよりは「私の本来の姿を隠す」という意味の方が強く、

負の遺産であっても「亡くなった母の象徴を隠す」ということなんだと改めて気づきました。もちろん老いには近づいていっているのですが(笑)

ここ数年、(良い意味で)母と似たような道を歩んでいる自分に気づき、又母が生前白髪を隠してきたように、母が隠してきた思いや恐れに思いをはせることにもなりました。

私自身はどういう異なった人生を歩むかということも含め、

今までとは違った意味で、母ともう少し仲良くなれそうな気がします。

shine

白髪を染めないこと、での私の一番の恐れは突き詰めると「偏見の目」に晒されることでした。決断するまでに心を見つめてそれなりに時間がかかりました。

ちなみに、新しい髪に関しては褒めてくれる人が多いです♪

でも驚く人も多いかな~と思ったので髪の色が変わった経緯について改めて書いてみました。

とりあえず、白い髪で生きていきます。


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2015年7月 1日 (水)

少しずつ傷つけあう家族

日本文学を読み解き、そこに登場する中年の深層心理を探った本「中年クライシス」より、河合隼雄さんの言葉を紹介します。

本間洋平の「家族ゲーム」という作品を取り上げながらワイルドネスについて語っています。

家族にはこのようなことが必要なのだ。お互いが少しずつ傷つけあって成長していく。しかし、もちろんそこには限度というものがある。必要な程度のワイルドネス、それをどの程度に、どのようにお互いが発揮し合っていくのか、それを決定してくれるのが愛情というものである。

なんか良いな~と思いました。

お互いが少しずつ傷つけあって成長していく。本当にそうですよね。

子供の自立や成長のためには親に反抗するということはすごく大事。なので親を傷つける言葉を言ってしまったりもする。そして傷というものは実は精神的にタフになるためには必要なものであったりもする。

でも生身の人間のやることなので、予定調和なんてなく、物凄い痛手をお互いが受けてしまったりもするんですよね。

又、家族があまりに無機質に暮らしてしまったりしていると、ワイルドなものが出てきます。

ワイルドなものをどううまく家族の中に、もしくは一人一人に取り入れていくか、といった課題もあるかもしれません。

傷つけあってるんだけど、育て合ってる、そんなところもありますよね。

shine
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shine

2015年2月27日 (金)

蛇と私、母と私

母親が亡くなって半年後、テレビ画面にヘビが映っていました。ぼ~っと見ながら、初めて”私は蛇が好きだ”ということを驚きと共に自覚しました。

自覚できなかったのは、母の大嫌いなものが”ヘビ”だったからです。それがテレビ画面に登場する度に母は「チャンネル変えて!」と怒鳴っていました。

元看護師で看護学校の教員だった母からは、私が幼い頃から「看護師だけにはなったらあかん」と言われていました。理由は”仕事がきついから”とのことでした。

母が亡くなってずいぶん経った後、会社員を辞めて、アロマトリートメントを習得してリラクゼーションサロンで働き始めた時、給料は会社員時代の半分程度になりましたが、仕事が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

その時、”看護師になるなと言われたけど、人の身体をケアするってことはこんなに楽しいんや~”と思ったことを覚えています。

その後今に繋がる心理の勉強をすることになるのですが、

親が良かれと思って子供に言うことに子供は無意識のうちに左右されることはたくさんあります。

やりたいことを見つける、行動する、

自己実現って実は意外と大変なんですよね。

心の中にはトラップがたくさんあるので、そこも要注意なのです!

気が付いたら楽な方に流れていく、(そして自己実現が忘れられる)そんなこともよくあります。

shine自己実現の困難にもしっかり取り組みますshine

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2015年2月 1日 (日)

『死にゆく者の礼儀』 紹介

ツイッターで一部紹介したりしていたのですが、(https://twitter.com/mmichiko2)あんまり良かったので、抜粋してまとめて紹介します。約10年に渡る両親の介護体験を含めた介護と死についての本です。死が怖い方へ、よく生きるために読んでもらいたい本です。

遥洋子著 「死にゆく者の礼儀」より

○それぞれの環境が作る老いの姿

老いは、その人が作ってきた体と、作ってきた環境の、総決算だ。
家族がいようがいまいが、その人の歩みがすべて人生のラストで自分に跳ね返る。
私が哀れもうが哀れまいが、その人が作った体の責任をその人が背負っているのであり、その人が作り上げてきた人間関係が介護の姿を決める。

羨んではいけない。妬んでもいけない。安易に憐れむのもおそらく正しくはない。
そこに映るものすべては、人生八十年をかけて、その人が作ってきた結果なのだ。その結果を私たちが勝手に、”老い”と呼ぶのである。

○医師は神ではない

死の受容といい、大きい苦痛をもたらす処置の許可といい、あまりに責任重大な判断はそれをする人を怯えさせて、結果「私たちには分からないから医師にまかせる」という責任転嫁をしてしまう。怯える程に誰かを頼らずにはいられないのだ。

医師は治療のプロであって、「もうここまで」と寿命を決めるプロではない。医師にまかせるということは、とことん闘わせることを家族が選択している、ということに家族は気が付いていない。

○好きに生きるための力

好きに生きるには力がいる。
まず人生を謳歌するのを邪魔しているものは何か、を分析することだ。
それは人か、経済力か、あるいは自分の思考。あるいは体力か。
それは解決できるものかどうかを検証することだ。解決できないものなら、妥協点を見いだせるかどうか。

人なら、その人はあなたの人生にとって絶対に必要なのかどうか。異なる関係性を築けるかどうか。
経済力なら、今からでも少しずつ収入を増やすために準備ができないか。
思考なら、いろんな物の考え方を読書等で知ることで自分の発想を変えられないかどうか。
体力なら、毎日少しでも身体を動かしたり、支えてくれる器具を工夫できないか。

○”好き”は突然生まれない

辛抱とは、一見大変なことに聞こえるが、実は楽な事なのだ。なにもしなければいい。ただ辛抱すればいいのだから。
人生を好きに生きるのは、一見勝手気ままに聞こえるが、実は力がいることだ。なぜならそれは、好きに生きるのを阻害するひとつひとつの要因を発見しては解決していく、ということの連続なのだから。

最も楽な生き方は、なにも感じないようにし、人生はこんなもんだ、と諦めることだ。
傷つくことや怒りもなければ、そのかわり、喜びもない。
問題は若い時にはそれでもいいが、老いてもなおそう思えるかどうか、若い時には分からないということだ。
そして、私はそのことに歯ぎしりをしつつ死んでいった女性を知っている、ということだ。

○おわりに

頼れる家族や子供がいない、と不安になることはない。
いたところで家族も子も介護を受ける人中心で日常を過ごすわけではない。子自身の用事や都合を優先しながら同居するに過ぎない。
施設に入れられたと嘆くこともない。家族よりは話を聞いてくれるだろうし、夜中も気にしてくれる。
いざという時を恐れることはない。家族がそばにいたところでその家族は医者にまかせる。
ヘルパーに期待しすぎてもいけない。それが職業である限りレベルはピンキリだ。

何を選ぼうが、どれをとってもそれぞれに悪い点といい点がある。
そういう意味では介護は常に不完全なのだ。
どちらになったからといって、嘆いたり、喜んだりするのではなく、どちらになったところで動揺しないほどの人生の納得をそれまでに築いてほしい。最終的には、それが物を言うのだから。

老いの最後に人生の不満だらけで過ごすことはせつないです。
人生の納得、応援します!

shine

2015年1月23日 (金)

介護と私

(今回の内容はきれいな話ではないので、ちょっとだけ覚悟してお読みください。)

bud

私は20代だった。

それは突然来た。

同居していたおばあちゃんの身体がいよいよあまり動かなくなってきたある日。

おばあちゃんがトイレの戸をたたいた。

私がトイレの中にいた。そして何度も戸を叩くおばあちゃんにイライラしながらドアを開けた。

間に合わなかった。

でも初めから間に合ってなかった。

トイレまでの廊下に水の混ざったようなうんちが点々と落ちていた。

おばあちゃんに「これ何?」と聞いた。

え?何で?うんち?

何でそんなにすっと、そこにうんちが落ちてるん?

と聞いた。

夏の暑い日だった。夏はめんどくさいからパンツを履いてない、という返答に本当に唖然とした。想像もしなかった。

母はいない。

トイレットペーパーをぐるぐる巻きにして床をふき取った。手にうんちが付いた。私は何度もえずいた。

石鹸で何度洗っても臭いにおいはなかなか落ちなかった。

私は悪態をついた。(おばあちゃんを傷つけたと思う。でも止められなかった。)

それまで、足の不自由なおばあちゃんの手を引いて電車に乗ったり、車いすを押したりはしていたけれど、これが私の初めての介護体験だったのかもしれない。

肉親がどんどん死に近づいていくのを見るのは怖い。先の見えない介護をするのも心が疲弊する。高齢の娘や息子が親を殺してしまうほど、介護に疲れ切ってしまう人がいる。

元々葛藤を持った親子関係だったら、介護なんて穏やかな心では絶対にできない。

死ぬ直前に居た老人施設で、おばあちゃんは「ここの人は優しいから良いわ。」という言葉を繰り返していた。優しそうな20代の男子がおばあちゃんの髪の毛をドライヤーで乾かしてくれているのを見た。そこで働いている人たちの顔を見て、ああ、本当に人として大事にされてるんだな、とほっとした。

老人でも、自分がどんな風に扱われているかはちゃんと肌で感じている。

介護と恋愛 遥洋子著 を読んで色々思った。(所々笑いながら、真剣に読みました。おススメします)

死にゆく人の面倒をみるのは、赤ん坊の面倒を見るのとは意味が違ってくる。いや、本当は同じかもしれない。そして女がやるものとどこかでみなに思われている。でも介護はその人の今までの人生の記憶などが上に乗っかってくる。そして痴呆という変性意識状態、それらに押しつぶされてしまう人が多いように思う。

カウンセリングを多くの人に活用してもらいたいと思っているけれど、恋愛どうするとか仕事どうするとか、結婚どうする、夫婦関係は、嫁姑関係どう?といったことと共に介護どうするということに対しても、自分の心と身体を丈夫にしておくことは凄く大事だと感じる。

良い人になって、気持ち良く介護するためにだけじゃなくて、気持ち良く主張するとか、頑張って断るとか、妥協案を探るとか、色々なことに対処するための心持ちはすごく必要だし、日本の社会としてはどんどん複雑なことが起きているのは無視できない。

結婚するのしないの、とか子供産むの産まないの、といったような単純なオールオアナッシングじゃない。多様に考えたり、多様にサポートするのが大事になってる、と感じる。

私にも怖いものはいっぱいある。でも目を背けてるうちはずっと怖いままということは分かってる。だから勉強してるんですよね。

shine

2月15日~19日まで大阪出張セッションします。2月14・15日は大阪でインテグレイテッド心理学基礎講座&プロセスワーク講座開催します!

heartほっとひと息お悩み相談 → カウンセリングセラピーとボディケアのコピススHP

2014年2月14日 (金)

「仕事が楽しい」と聞くと腹が立つ

shineみなさま、ようこそのお運びで厚く御礼申し上げますshine

又明日も寒くなりそうですね。

「心理学の勉強が楽しい」とか

「仕事が楽しい」

と言う発言がどうもかなり気に食わないらしい父。

仕事が楽しい、と言った瞬間に否定的な言葉が必ず飛んできます。

そんなことを言うなんてひどいな、と思う人もいるかもしれません。

ちなみにカウンセラーが家族、友人、恋人をカウンセリングすることは不可能です(セラピーはOKですが)。深刻なことでなければOKかもしれませんが、元々近しい関係性がある場合、カウンセラーとして相手に寄り添って聞くことは非常に困難ですし、こういう風になってもらいたいという無意識の意図が入ってしまうので実はすごく難しいです。又相手方もそうそう心の内をベラベラと話しません。←しかしこれはすごく健全なことです

話を元に戻すと、そんなことを言うなんてひどいなぁ、と思うとしたら、

頑張っている子供を親は応援するべき、やポジティブなことを口に出すべき、などの前提的な思考があります。私もはじめは父の発言にムカッとしました。

↑この思考を少し横において、父の発言(パターン)を見ると、私の「仕事が楽しい」発言で父の潜在意識の中の思いをものすごく刺激していることが理解できます。又父の仕事は責任が重く、ストレスの多い仕事だったことは退職して温厚になったことからも想像に難くありません。

本当は仕事が嫌いだった人、本当は辞めたいのに仕事を続けている人、本当はパワハラに傷ついてるのに傷を見ずに仕事をしている人などからみると

「仕事が楽しい」という家族や親友や恋人と言った近しい人

はそれなりに大きな刺激物になってしまいます。

又例えば仕事を辞めるとやっていけないかもという不安感や
周囲に認められるようなことをすべき

という思いが大きい場合は、楽しんでる人がいるんだ、私もやってみようかな、とははじめはなかなか思えません。それよりも能天気なことを言っている!などと批判したくなったり、逆にあなたはすごいけど私なんて、と悲観することもあるかもしれません。

人間関係は投影合戦なので、当たられることもしばしばです。パーソナルに取らないことも秘訣ですね。潜在意識の思いなどもうすこし詳しく知りたい方は是非インテグレイテッド心理学基礎講座をお受けください。

ただ、はっきりこの仕事が私の喜び!というのがなくても、私はどんな仕事でも自分の気持ち次第でそれなりに楽しんで充実させることはできると思っています。

カウンセリングのアプローチとしては、今の仕事は楽しくないから転職をしよう、私が好きなものは何か分からないなぁ、だけでなく、例えばなんだかぱっとしない感じ、をテーマにして心を見ていくのもかなり有効だと思います。

最近複数のクライアントさんから、仕事の人間関係が改善したり、仕事が楽しくなったという嬉しいお話を聞かせて頂きます。もちろん仕事を変わったわけではありませんよgood癒しや気づきのパワーはあなどれません。

shine

2月22日(土)は目覚めの瞑想ワークショップです。是非心とからだに贅沢な一日を過ごしましょう!
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エンパス・HSPがグラウンディングして生きるための心理カウンセリング

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